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HEART BEAT

今日も本音でワクワクする人生を! 今日一日を最高に生きる

殺すんなら殺せ。真のスピリチュアルとは何か?

 

 

こんにちは。

 

高校生のころ、

船井幸雄さんの本を

むさぼるように読んでいた

ザイツタクヤです。

 

さて昨日は斎藤一人さんの

運が良くなる呪文、

 

一昨日は風水

話がスピリチュアル系に傾き

ブログが若干、フワフワしてきました 笑

 

スピリチュアル好きなのは

単なる好みなので、問題はないのですが

斎藤一人さんはこう言っています。

「スピリチュアルは2割にしときな」と。

 

不思議な事や、目に見えないことって楽しいけど、

あんまりその割合が多すぎるとイロイロ不都合がでてくる。

 

周りから白い目で見られたり

大切な人に迷惑をかけてしまうことも

あるかも知れない。

 

実生活をキチンとやった上で2割だけ楽しむ。

そのスタンスがちょうどいい、と。

 

この話を初めて聞いたとき、

そうだよなあ、と同感。

 

好きな人にはたまらないスピリチュアルですが、

実生活との配分というものを意識しておかないと、

ちょっとイッっちゃった人になる可能性があります。

 

イッちゃった人で上等だ、

独自路線をとことん貫いてやる、

変態と呼ばれて本望だ。

 

もちろんそれはリスペクトに値することだし

僕自身もそう生きたいと思ってます。

 

でも人に迷惑をかけたり、

大切な人を困らせるのは

誰しも望まないことですよね。

 

そもそもスピリチュアルって

何だろうと調べると

「霊的なこと、霊魂に関するさま、

超自然的な、神聖な、神の」

という意味。

 

一言でいえば、「目に見えない世界」

 

それだけに「スピリチュアルは2割」と言われても

気がつかないうちにバランスを欠いて

自分を見失ってしまうこともあるかも知れない。

 

スピリチュアルという魅惑的かつ

危険ともいえる領域に

どのような態度で臨むべきか?

それを考える時にいつも思い出すことが

一つあります。

 

今から13,4年ほど前の話、

僕は石井裕之さんという方の

ワークショップに参加しました。

 

うろ覚えですが、

たしか2か月くらいに渡って、いや3ヶ月だったかな?

毎週一度、東京のマンションの一室に集まり実施される

ワークショップ。

 

内容は主にコミュニケーションについて。

当時、僕はある自己啓発プログラムの販売の

仕事に挫折したばかりで、

バイク便の仕事をしていたのですが、

それが悔しくてもう一度、

営業の仕事でリベンジを果たしたい、

という想いからそのセミナーに参加しました。

 

石井さんは僕が福岡から東京でのセミナーに

参加していることに驚き、自身のホームページで

以下のような内容の文章を公開。

 

「今回のワークショップでは、なんと福岡から参加している方がいます。

非常にうれしく思いますが、それでふと思い出した話があるので記しておきます。

 

以前、私はある名門学校の近所に住んでいたことがあり、

そこでよく、ある中年女性を見かけるように

なったのですが、その方は見かけるたびに、

その学校の校門に向かって、

手を合わせて深々と頭を下げ、

祈っているのです。

 

察するに、子どもさんの合格を祈願してのことでしょうが、

当時の僕は内心、神社や教会で祈るならまだしも

学校に向かって祈るなんておかしな話だ、と

バカにしていました。恥ずかしく思います。

真剣な人をバカにするのは人として恥ずべき態度です。

 

その後、人生経験を積み、

人の心理を学ぶようになった今では

こう思えます。

 

そのお母さんは子どもさんのために

食事や日々の生活を始めとして

さまざまなことに気を使ってきた。

参考書や問題集を買ってきてと頼まれれば

買いに行ったこともあるかも知れません。

少しでも勉強に集中できるように

自分の生活を犠牲にしたことも

あったかも知れません。

 

とにかく子どもさんのために、

出来ることを120パーセントやって、

それでも他にやれることはないだろうか、

さんざんやりつくして、やりつくし

もう残されていたのは

学校に向かって祈ることぐらいしかなかった。

 

まわりから奇異に見られようが

気にしている暇はない。

やれることをすべてやりつくし

残ったのは祈ることぐらい。

そんなことからそのお母さんは、

毎日学校に向かって手を合わせ

祈りを捧げていたのだろう、と。

 

往々にして人は他人の真剣な行為を笑ったり

理解に苦しむという態度をとりがちですが

少しでも真剣に生き、少しでも主体的に生きる人は

安易に他者を笑うことはしないものだし、

また人から何と言われようが

自分を信じるということを強く持ってほしいと思います」

 

10年以上前のことですから、

かなりうろ覚えですが、だいたいこのような内容でした。

 

おそらく石井さんの趣旨は

福岡から東京に毎週通う僕に対して

周りから冷ややかな目で見られることもあっても

自分を信じて道を貫いて欲しい、と勇気づける目的で

書いてくれたのではないかと思います。

 

僕にとって最も印象に残ったのは

子どものためにやれることをすべてやり

あとは学校に向かって祈りを捧げることしか

残っていなかった、という

お母さんの話。

 

一生懸命がんばっている子どもに

代わってやることはできないが

自分の出来ることはすべてやってきた。

それでもまだ何かやれることはないかと探し

残っていたのは、学校に祈ることしかなかった。

 

ここまでやった人だけが

神仏に祈る資格がある。

 

やれるべきことをやってやってやりつくし

最後に残された神仏への祈り。

 

願えば叶う系のフワフワした

スピリチュアルもどきとは

一線を画する厳しさと現実性。

 

天は自ら助くる者を助く。

人事を尽くして天命を待つ。

 

やることをすべてやりつくし

結果を天に委ねたら

あとはどのような結果も受け入れる。

 

殺すんなら殺せ。

煮るなら煮てくれ。

焼くなら焼いてくれ。

 

俺はもうやれることはやり尽くした。

 

極論を言えば

スピリチュアルに対する

真の態度はこういうものじゃないかと

思うのです。

 

それではまた!

 

今日も本音でワクワクする人生を。

 

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